納涼会が終わり、少し、ホッとしたのも、つかの間、
四谷怪談について、考えさせられております。
とりあえず、原本は読み、その注釈も読み、
この作品の、大本のエッセンスに、触れた。
が、
この作品の面白さは、何だろう?
この作品を上演する、メリットは、何だろう?
自分は、この作品のどこが、面白いと思っているのだろう?
など、思い悩んでみた。
ん~、原本読んだ上で、思うんだけど、歌舞伎で現在やられてる四谷怪談って、
場がカットされてて、はっきり言って、内容が、満たされてなくて、ドラマ的には、
消化不良で終わっちゃうんだよな~。
にもかかわらず、
幽霊が出たり、舞台装置が面白かったり、など、表面的な面白さに、観る人はテンション上がって、
最後、伊右衛門が成敗されて、ああ~、一件落着!
って、納得して、帰ってゆく感じ。
また、
映画で、よくやってるけど、あれらは、アレンジが多くって、鶴屋南北さんが書いた四谷怪談をモチーフに、
別の作品作ってるって、感じ。
それは、そういうコンセプトでやってるから、それでいいと思います。
ただ、そういうことです。
自分がこれから、創ろうとしてるのは、鶴屋南北さんの四谷怪談としての良さをできるだけ引き出して、
歌舞伎で、
なおかつ、現代の感覚に馴染んだ形で、できたらいいんでないか?
と思う。
小汐田 又之丞隠れ家の場とか、上演されないけど、ドラマを深めるという観点から見たら、
すんごく面白い場であることが、読んでみてわかった。
三角屋敷の場も、深く掘り下げてみると、お互いの関係性が2重にも3重にも重なってて、
そこから、表面に行動として表れているって、状況が続いていて、
すんごく、味わいがいのある場なんだ~
って、思った。
お岩さんがこわ~いとか、
伊右衛門さんが冷酷!
宅悦さん個性的!
直助さんお茶目~
仕掛けがおもしろ~い
ってところで、終わらないやり用って、ないのかな?
四谷怪談について、考えさせられております。
とりあえず、原本は読み、その注釈も読み、
この作品の、大本のエッセンスに、触れた。
が、
この作品の面白さは、何だろう?
この作品を上演する、メリットは、何だろう?
自分は、この作品のどこが、面白いと思っているのだろう?
など、思い悩んでみた。
ん~、原本読んだ上で、思うんだけど、歌舞伎で現在やられてる四谷怪談って、
場がカットされてて、はっきり言って、内容が、満たされてなくて、ドラマ的には、
消化不良で終わっちゃうんだよな~。
にもかかわらず、
幽霊が出たり、舞台装置が面白かったり、など、表面的な面白さに、観る人はテンション上がって、
最後、伊右衛門が成敗されて、ああ~、一件落着!
って、納得して、帰ってゆく感じ。
また、
映画で、よくやってるけど、あれらは、アレンジが多くって、鶴屋南北さんが書いた四谷怪談をモチーフに、
別の作品作ってるって、感じ。
それは、そういうコンセプトでやってるから、それでいいと思います。
ただ、そういうことです。
自分がこれから、創ろうとしてるのは、鶴屋南北さんの四谷怪談としての良さをできるだけ引き出して、
歌舞伎で、
なおかつ、現代の感覚に馴染んだ形で、できたらいいんでないか?
と思う。
小汐田 又之丞隠れ家の場とか、上演されないけど、ドラマを深めるという観点から見たら、
すんごく面白い場であることが、読んでみてわかった。
三角屋敷の場も、深く掘り下げてみると、お互いの関係性が2重にも3重にも重なってて、
そこから、表面に行動として表れているって、状況が続いていて、
すんごく、味わいがいのある場なんだ~
って、思った。
お岩さんがこわ~いとか、
伊右衛門さんが冷酷!
宅悦さん個性的!
直助さんお茶目~
仕掛けがおもしろ~い
ってところで、終わらないやり用って、ないのかな?